フィリピン

7,641の島々が点在するフィリピンは、 その島の数だけ伝統や文化も多彩です。スペインやアメリカの影響を強く受けており、 日常生活の中でもそれぞれを象徴する建築物や食べ物などが多く見られます。 歴史や文化などを学んでからフィリピンを巡ると、 旅の楽しみがもっと広がります。


産業
主な産業は農業ですが、 最近ではスービック、クラーク、セブのマクタン輸出加工区やカビテ、ラグナ、バタンガスなどにはPC関連他の工業団地が急増中。ココナツ、アバカ(マニラ麻)、コプラ、タバコ、砂糖が主な農産物。天然資源は鉄、銀、銅、大理石など。この他、木材(主にラワン材)も輸出されており、近海での漁業も盛んです。なお、貿易相手国はいずれも先進国で、日本も主要相手国のひとつになっています。
観光産業も農産物の輸出とともに有力な外貨獲得源になっています。 フィリピンを訪れる観光客は年間650万人以上で、日本人観光客はその約10%です。政府も観光関連事業に力を入れており、国際会議の誘致、 リタイアメント&ロングステイ、英語留学等の誘致にも積極的に取り組んでいます。

 

歴史と文化
フィリピンの歴史は、①スペイン統治以前(1521年以前)、②スペイン統治時代(1521〜1898年)、③アメリカ統治時代(1898〜1945年)、④独立以後(1946年以後)の4つに大別できます。
フィリピンの初期住民といわれるネグリト人が陸橋を使って渡来前に、フィリピンに人がいたという考古学的な証拠が見つかっています。6万7000年前のアジア最古のホモサピエンス、カヤオ人の人骨はフィリピンの「カヤオ洞窟」で出土され、さらにリサール州のビナンゴナンでは紀元前3000年前の岩絵「アンゴノ・ペトログリフ」が発見されています。
ネグリト人に続き、原始マレー系、古マレー系、新マレー系は海を渡ってフィリピンにやってきました。1世紀にはインド、アラブ、東アジア、東南アジアの国々から宗教、言語、文化的な影響を受けながら、小さな海洋国家が点々と全国にできました。また、国家まで至らなかった独立しているバランガイ(村)もたくさんありました。
1521年にマゼランがフィリピンにやってきて、1565年にスペインによる植民地化が始まりました。この植民地化によって、フィリピンは初めて統一されました。300年間以上のスペイン植民地化を経て、今でもその影響がフィリピンでの日常生活で垣間見ることができます。その一つとして、フィリピン人の9割以上はキリスト教であること。また、フィリピノ語の中に「asul(青色)」「bintana (窓)」「 lamesa (テーブル)」のようなスペイン語由来の言葉(azul, ventana, la mesa)が今でもたくさん使われています。また、カリヨス、ガンバス、パエリヤ等のスペイン料理は文化的にもフィリピンに根付いています。
1898年にはスペインーアメリカ戦争が終わり、フィリピンはアメリカの統治下に置かれることになりました。1901年には公共教育が開始され、英語が教育言語として利用されるようになりました。そのため、フィリピンでは今でも英語が公用語として利用されるようになりました。
1946年に独立をしたフィリピンは共和国として、現在に至ります。文化的にもユニークで、ニッパヤシの民家に代表される土着文化を持ち、バロック風のカトリック教会はスペインがもたらしたヨーロッパ文化の象徴であり、近代的な学校校舎はアメリカ文化を代表しています。中でも、約350年のスペイン統治時代の文化と伝統は、言語をはじめ今もなお国民の日常生活に根強く残っています。また、スペイン以前にもたらされたイスラム文化はフィリピン南部独特の風物詩で、ジープニーの極彩色の装飾もイスラム文化の影響を受けたものといわれています。

 

国民性
フィリピン国民の性格は、様々な文化が入り混じったものと言えます。“バヤニハン” として知られる血族や友愛を重んじる心はマレー系の祖先から受け継いだものであり、親密な家族関係は中国人から受け継いでいます。そして、 敬慶な気持ちは16世紀にスペイン人がもたらしたキリスト教の影響を受けたものです。 特にスペインとは長い交流があったため、 フィリピン国民は生き方に関しては、 アジア人というよりもラテン民族と思えるほど感情的かつ情熱的です。また、東南アジアの中で最もフィリピン国民を際立たせているのが“フィリピーノホスピタリティー”(おもてなしの心)。これはほとんどのフィリピン国民の性格に共通したものであり、これがフィリピン人の大きな特徴となっています。