ベトナム

統治国家時代(2世紀から15世紀)
ベトナムは長い間、中国の占領下でした。その歴史を変えた重要な王朝は、リー王朝、チャン王朝、ル王朝、グエン王朝の4つです。まず最初に、リー王朝は中国人を追い出し、千年にわたる支配を終わらせ、ハノイに中央集権的な政府を設立しました。次のチャン王朝では、チャン・フン・ダオ将軍の指揮下で、紅河デルタにおけるモンゴルの襲撃を撃退しました。これら2つの王朝は、その後長く続くベトナムの歴史の基盤を築きました。

 

ル王朝の南への勢力拡大(15世紀から17世紀)
15世紀になると、中国は再びベトナムに侵攻しましたが、占領は以前のように長くは続きませんでした。裕福な地主だったル・ロイは、抵抗軍を率いてベトナムを取り返しました。これによりル王朝が設立され、南への勢力拡大に成功し、旧チャンパ王国を支配しました。チャンパ王国を統治していたチャム族はインド半島の民族であり、2世紀からベトナム中部および南部で暮らしていました。商業において発展した強力な王国でしたが、ル王朝に敗北し、メコンデルタの奥深くに追いやられました。

 

最後の王朝(19世紀)
ベトナム最後の王朝であるグエン王朝は、ベトナムで内戦が勃発する最中に誕生しました。ジャ・ロン皇帝の指導の下、国は再生し、1802年にジャ・ロンはベトナム中部のフエ市に新しい封建的な首都を建設しました。グエン皇帝の統治中、ベトナムにおけるフランスの影響は、宗教改革福音主義の口実の下で次第に大きくなりました。最終的にはフランスはベトナム全土の支配権を確立し、近隣のラオスカンボジアと共にベトナム中部および北部地域を征服しました。これにより、グエン王朝最後の皇帝バオ・ダイは正式に王位を退位しました。

 

フランス植民地時代(19世紀後半から20世紀初頭)
フランスに植民地化されている間、ベトナムはトンキン、アンナム、コチンチンの3つに分割されました。ベトナム人の間ではフランスによる支配への抵抗心が強まり、多くの著名なベトナム人作家がベトナムの連帯と植民地支配からの自由を求める作品を発表しました。これらの動きは一時鎮圧されてしまいましたが、人々の心の中には変わらず残っていました。フランス人による大規模な逮捕が行われたにも関わらず、多くのベトナム民主主義者は投獄を恐れずその思想を広め、将来のために活躍しました。

 

独立への侵略(20世紀前半)
フランスがドイツに占領された時、日本はベトナムへの侵攻を図りました。これにより、1940年に日本軍がハノイを支配しました。その1年後、日本軍はベトナムの抵抗軍を後押しし、共産主義者と民主主義者を団結させ、そのリーダーとなったホーチミンはベトミンを結成してハノイから南下しました。ベトミンによって日本軍のベトナムへの影響力は1945年頃には弱くなり、同年日本は連合国軍に降伏し、ホーチミンハノイのバーディン広場において独立国家を宣言しました。

 

インドシナ戦争と再統一(20世紀半ば)
フランスによる植民地支配に対する抵抗心は、1946年にインドシナ戦争が始まった時に再燃しました。この戦争は、ディエンビエンフーの戦いで大敗するまで続きました。停戦が調印された後、ベトナムは17の地域に分裂し、後に世界的に注目を集める戦争の舞台となりました。アメリカが徐々に南ベトナムへ侵攻してきたのです。北ベトナムはそれに対抗するため、軍隊を送り込みました。テト攻勢により北ベトナム軍が有利な戦況となり、1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの都市を占領したため、最終的にアメリカ軍はサイゴンから撤退しました。

 

ドイモイ、そしてベトナムの今(20世紀後半から現在)
第二次インドシナ戦争の後、国は調整と再統一の期間を経ました。 1986年、ベトナム政府は「ドイモイ」(刷新)政策を全国に導入しました。この改革により、ますます多くのベトナム人が新規事業を始めたため、徐々に経済成長をもたらしました。また最近では、ベトナムは開発ブームを迎えており、近隣諸国の中で最も急速に経済が成長している国の1つです。国が提供するものは、歴史的魅力とその過去への深い感謝の感覚を備えた、古いものと新しいものの魅力的な組み合わせです。